光陰矢の如し ―時を大切にする心を育む古言葉

ある日の夕暮れ、お客様を乗せて車窓から沈みゆく太陽を眺めていた時のことです。「光陰矢の如し」と、年配のお客様がふと呟かれました。その言葉が胸に響き、私自身の時間の使い方を考えさせられました。

この「光陰矢の如し」という言葉、よく耳にするものの、その本当の意味や由来をじっくり考える機会は意外と少ないのではないでしょうか。

 

「光陰矢の如し」の本当の意味

「光陰矢の如し」は、時間(光陰)が矢のように速く過ぎ去っていくことを表しています。単なる「時間が早く過ぎる」という表面的な意味ではなく、貴重な時間を無駄にしてはならないという、深い戒めの心が込められているのです。

この言葉の由来は古く、中国の後漢時代の「潜夫論(せんぷろん)」という書物に「光陰者,百代之過客;而吾与子遊,漫漫其如矢」(光陰は百代の過客なり、而して吾子と遊ぶ、漫漫として其れ矢の如し)という一節があります。時間は百代に渡る旅人のようなもので、自分と時間が共に過ごす間、その流れは矢のように速いという意味です。

日本では平安時代には既に知られていた言葉で、多くの文学作品にも登場しています。「徒然草」にも時の流れの速さについての記述があり、日本人の時間意識に深く根付いてきました。

 

似た意味を持つ表現と微妙な違い

「歳月人を待たず」や「時は金なり」も時間の大切さを説く言葉です。しかし、「歳月人を待たず」が時間の容赦なさを強調するのに対し、「光陰矢の如し」は速さに焦点を当てています。また「時は金なり」が時間の経済的価値を説くのに対し、「光陰矢の如し」は人生という大きな枠での時間の価値を問いかけます。

タクシードライバーとして15年間働いてきた私の経験でも、時間の感覚は人生の段階によって大きく変わります。若い頃は長く感じた一日が、年を重ねるごとにますます短く感じられるようになった実感があります。

 

現代生活での活かし方

この言葉を日常的に思い出すことで、時間の使い方に対する意識が変わります。私自身、60歳を前にして宅建士の資格取得に挑戦した時、この言葉に何度も励まされました。「今やらなければ、その機会は二度と戻ってこない」という覚悟が、勉強を続ける原動力になったのです。

「光陰矢の如し」は、重要な決断を迫られる場面や、何かを先延ばしにしようとしている自分に気づいた時に思い出すと良いでしょう。特に50代以降、この言葉の意味をより深く実感することが多くなります。

時の流れを感じる夕暮れ時、ふと「光陰矢の如し」と呟いてみてください。時間の尊さを改めて感じ、今この瞬間を大切にする心が育まれるはずです。

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